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保険業界に挑んだ男・中川博迪 [共済・保険]

前回、保険業界の圧力で多くの共済が潰された話をしました。
経済が何ものにも優先するのはどこも同じ、珍しい話じゃありません。
新しい道を拓く者に、既存勢力からの逆風は避けられないのも当たり前。

しかし逆に考えればこれは保険業界は共済を恐れた」ということが言えます。
このままじゃ喰われる…と脅威に感じるほどの商品と戦略だったんですね。

顧客からすれば、保険に求めるのは「わかりやすい」こと、そしてできれば他の保険商品より「安くて手厚い保障」が受けられること、「信用できる会社であること」これだけ。
つまり万一に備えて安心できればいいという事ですよね。

逆に売り手…この場合 末端の販売員のことですが、他社の保険代理店からもEXAに乗り換える者が続出したとのことで、実はこの意味は大きい。EXAが顧客のみならず販売員までもどんどん増やしていったのは、一言でいえば「売りやすかったから」ということ。そして乗り換えた販売員は、既存の保険を必死で売るよりも利益が出やすいと判断した訳です。

顧客のためになると心から信じられる時、売り手はストレスなく仕事ができるものです。中には怪しい壺を売る人のように、何ら良心の呵責を感じることなく他人を騙すことのできる人もいますが、それは特殊なケース…のはず(笑)

逆に、相手に損させると解った上でそれを売るのはツライものです。
おいちゃんはかつて商品先物取引の営業をやった経験がありますが、あれはキツかった…。自分自身は相場が大好きで、それ売りだやれ買いだと切った張ったやりたいクチですが、会社に所属して新規顧客開拓に走る立場では、相場の状況に関わらず常に「社長!今ならぜったい儲かります!買ってください!」なんですね(^^;
自分なら売りだと思っている時に限って、人の好い町工場の社長が釣れちゃったりなんかして、案の定 上司にコテコテにいじられてドツボにハマっていく様を見るのは本当にしんどかった。

ある程度 仕事が解ってきてからは、自分の顧客には「上司のいうことは真に受けないでください。彼らあなたに儲けさせるつもりなんかサラサラありませんから。ボクが会社から電話している時の話もウソです。本当に必要な情報は、外から電話しますから」なんて、バレたら会社に訴えられそうなことやってました(笑)

まあ相場なので、相手に良かれと思ってやったことが裏目に出たりもしましたが、少なくとも「自分を信じてくれたあなたに儲けてもらいたい」と思ってやっているんだということは相手に伝わるもので、損させてしまった人とも良い関係を築くことが出来たように思います。

話が逸れましたが、要するに。
買い手にとって素晴らしい商品は売り手にとっても楽だということです。安くすることで利益が薄くなるなら売り手は困りますが、そうならない方法があったということです。


EXAはそれまでにない顧客寄りの商品を出すことに成功し、一気に拡大したことが仇となり既存勢力に潰されてしまったワケですが、その仕掛け人がこの人、中川博迪氏。

 

 

世の中、まだまだ凄い人がいるもんですね。
略歴を見つけたので載せておきます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
中川博迪
1967年4月
東京生命保険相互会社 入社
九州大学文学部卒業後、東京生命に入社。生命保険業界でのキャリアがスタート。
1973年9月
アリコジャパン(現:メットライフアリコ) 入社
外資系生命保険会社第1号として営業を開始したアリコジャパンに入社。営業の中心メンバーとして、現在のアリコ社の礎を築く。
1989年12月
同社 取締役兼営業本部長
日本にはまだ存在していなかった画期的な商品や新しい販売手法等を用いて、1990年には保有契約高5兆円を超える企業となるアリコ社で、営業部隊の指揮官として、その拡大に辣腕をふるう。
1991年12月
同社 取締役副社長
1993年5月
アクサ保険 日本連絡事務所 上席顧問
「会社の利益を追求するだけではなく、社会にも還元していくべき」との信念からアリコ社を退社。パリのアクサグループ本部を訪問、長期的視点で、日本での保険会社経営を検討していたアクサ代表と面談。300億円の投資と共に招致を実現。
1994年7月
アクサ生命保険株式会社 取締役副社長
アクサ代表との約束により、3年間は副社長を務める。
1997年1月
同社 代表取締役社長
1999年7月
エキスパートアライアンス株式会社 起業
「日本の生命保険を変えたい!同じ保障をもっと安く提供出来るはず」との思いから創業「誰もが生きている喜びを感じられる社会づくりに貢献する」との企業理念を掲げ、5名でスタート。
保険の常識を破る画期的なビジネス手法で共済事業を展開。
理念を伝えるため全国で講演会を開始、現在までで、1,200回以上の講演を実施。
2000年
創業2年目から社会貢献活動を開始
社員や代理店等事業に関わる人々による「全員参加の社会貢献」を提唱。寄付額が事業収益の伸びに比例して伸びていくという寄付と事業を連動させた経営を推進。
また、団体や組織を通じてではなく、支援を受ける人に直接手をさしのべる、「顔の見える社会貢献」を大切にし、10年間(2010年度末まで)で、約24億円の寄付を実現。
2008年8月
アイリオ生命保険株式会社 誕生
創業9年目で、一般の事業会社で言う「売上げ」にあたる共済掛金収入で約280億円(平成20年3月期)達成。保険業法の改正に伴い、生命保険会社への道を選択。
保険業法改正当時約430社と言われた任意共済の会社のうち、生命保険業の免許を取得し共済契約を承継した唯一の会社。
2012年4月
一般社団法人 チェンジ・メーカーズ 始動
事業を通して社会の役に立つ仕組みを提案するとともに、「日本を変えていこう」との気概をもつ人々の育成を支援し、彼らの連携や協力関係を築く受け皿となるべく、2011年11月に社団を設立。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

YouTubeで動画を漁ったら、バリの兄貴との対談が見つかりました。
巨漢の兄貴・丸尾氏と並ぶとちんちくりんのお父さんですが、
「ただ売って儲かりましたなんて恥ずかしい」
の言葉が印象的です。

バリの兄貴(丸尾孝俊)×元アクサ社長(中川博迪)による対談 by NAKATA-KIKAKU

 

多くの人はブランドに弱いです。人でも会社でも、知名度が高いというだけで比較的安心して受け容れます。「ブランディング」とか「インフルエンサー」なんて言葉もよく目にしますが、自分自身や扱う商品がブランドとして確立してしまえば商売が飛躍的に容易になるからこそ、起業家はそこを目指す訳ですね。

ただ、有名なのと良いものであることは、
まったく無関係とは言いませんが幻想の部分は大きい。

ネットの世界でインフルエンサーとして大きな影響力を持つ人と言えば…例えばホリエモン?彼の言うことだから正しいに違いないと、自分で考えることなく受け容れるなら、あなたは彼の素晴らしいお客さんになれます。(笑)

ブランドを確立し人々の信用を得て、駅前の一等地に素晴らしい自社ビルを持ちTVで大々的にCMを打ってさらに知名度を増し信用を高め…そうして売りやすい立場からとんでもない保険を売って濡れ手に粟のような商売を続ける保険業界を変えることが自分の使命だと、中川さんは思ったんでしょうか。



…なかなか話が進みませんで_| ̄|○、
資料を集めていると、次から次へと面白い話が出てきて困っちゃいます(笑)

なごみ共済の組合員募集を一手に引き受けるのがWIS株式会社。
その社長が藤野譲治 氏で、アリコジャパンの生命保険の通販部門を立ち上げた方。
なごみ共済の現理事長は前回も書いた
坂田道生 氏で、WISの藤野さんは彼の大先輩…あーややこし。

中川さんは略歴にもある通りアリコの副社長を務めた方なので、藤野さんとの接点は解りました。2013年に立ち上げたなごみ共済は、EXAで苦汁を舐めた中川さんの保険業界へのリベンジだという話を聞いておいちゃんワクワクしとるんです(笑)

これほどの人物が、何の策もなしにEXAと同じ轍を踏むワケがない。
今度は潰されず、業界にビシッとくさびを打ち込める勝算があるはずと見てますよおいちゃんは( ̄ー ̄)ニヤリ


今月末に、おいちゃんの住む札幌でWIS(株)のセミナーがあるので、そこでまた詳しい話を聞いてきましょかね。

あー面白い♪




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